第1回dot & meme展-portrait alternative-

第1回dot & meme展-portrait alternative-

2014年7月29日(火)~8月10日(日)
12:00→19:00(最終日18:00迄)
※月曜休

出展作家
中村趫
kensyo(謙彰)  http://kensyo-web.net/
艶子 http://zakuro-13.petit.cc/
SYO HARETOKE

dot & meme ホームページ
http://dot-and-meme.info/

Portrait Alternative

(或いは信じ難いことかもしれませんが)「自己の喪失こそが世界の実感である」ということは、
現代においては珍しくもないことです。

わたしたちは「自己のリアリティの欠如」という逆説的なリアルが支配する世界に於いて尚、自己の、それを相対化できるあなたの、
存在を肯定し得るものを必要としています。

例えばそれは、写真であってもいい。
極論するならば「写る」ということは「在る」ということ、と置き換えることが出来るからです。
ある閾値を超えて増え続ける写真、ポートレートと呼ばれる領域の拡大は、その社会の在り様の一端であるといえるでしょう。

.&memeの最初の波紋に集まったメンバーは、正にその写真を用い、ひとを主たるモチーフとして活動をおこなっています。

原理的にそのオプティカルな表層を写し留めるメディアを選択し乍らも、その内包するmemeの集積としての「無形の個」にフォーカスしようとするアプローチ。
そんなポートレートの「もうひとつの領域」を志向する本展を、ご高覧頂ければ幸いです。

スタジオ クレアーレ 「たからもの展」

スタジオ クレアーレ 「たからもの展」

2014年7月22日~27日
12:00→19:00
最終日は18:00迄。

お宮参りからウェディングに至るまで、人生の1ページを飾るにふさわしい写真を制作する京都の写真館、スタジオクレアーレ。
そのスタジオクレアーレがギャラリー知を舞台に今回主催する展覧会が、この「たからもの展」です。

「写真は家族の宝物」をモットーに参加者を募った形式で、自然な表情、何気ないしぐさを詰め込んだストーリーのある写真を展示します。
クレアーレワールドをぜひこの機会に体験してみてください。

主催:スタジオクレアーレ

http://www.creare.co.jp/

JUNKO SUNAGA SOLO EXHIBITION “THE GRINNING POND”

JUNKO SUNAGA SOLO EXHIBITION “THE GRINNING POND”

須永順子 個展「笑う池」

2014年7月15日(火)~20日(日)
12:00→19:00(最終日18:00迄)

作家FBページ
https://www.facebook.com/sngjnk91?ref=profile

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JUNKO SUNAGA  須永 順子 

1991  群馬県出身
2014 京都造形芸術大学 芸術学部 美術工芸学科洋画コース卒業

【展覧会歴】
~グループ展~
2012 「Thinking Process」 京都造形芸術大学 学内展示
2013 「GalleryTOMO 小さな作品展」 ギャラリー知 
2013 「Draw」 ギャラリー知
2013 「めぐる」 ギャラリー知
2014 「京都造形芸術大学卒業・修了展」 京都造形芸術大学
2014 「GalleryTOMO 小さな作品展」 ギャラリー知
2014 「三日展」 ART FORUM JARFO

~個展~
2014 「THE GRINNING POND」 ギャラリー知

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展覧会にあたって

SUNAGA JUNKO SOLO EXHIBITION “THE GRINNING POND”

初個展に付す言葉は難しい。行雲行水。作家の創作もまた水のようにかたちを変えていく始点で書き連ねる言葉など、川のごとく流れてしまうだろう。だが、流れる言葉も「古池や蛙飛びこむ水の音」がつくる波紋ぐらいにはなるかもしれない。
須永順子の初個展「THE GRINNING POND」が古池かどうかはわからない。しかし、「淀んだ池、何色にも見えない色」と書かれているように、かなりの古池かもしれない。もっとも物理的には池の水位は比較的浅いが、濁って淀んだ池が喚起させるイメージは、深さではないだろうか。池の水面は、鏡面のように周囲の世界が写り込むのに対し、水面下を見通せない水の不透明さ、不確かさは、さまざまな想像(創造)や深層心理を刺激する泉でもある。だからだろうか、池は薄い平面である絵画の題材としてよく描かれてきた。
須永もまた、池を主題に絵画を描いてきた1人である。須永の絵画を初めて見たのは、2014年の「京都造形芸術大学卒業・修了展」であった。卒業制作となる《生きた記憶》(2014)は、荒削りながらも、鮮やかな緑の色彩に孕まれた光が印象的な4枚組の大作であった。さながら水面の波紋のような抽象的なうねりとリズムは、穏やかで柔らかい絵画空間を形成していた。
池の水面に抽象的形象を最初に付与したのは、クロード・モネ(1840-1926)であろう。1883年にジヴェルニーに移り住み、1895年から自宅に作った庭園の池に咲く睡蓮を描き始めた睡蓮連作はよく知られていよう。モネの絵画は、晩年になるつれ水の流れのように、池の情景を描いたものから、池の水面に写りこむ空や樹、大気までが混沌と合わさる抽象的な画面へと変化していく。池の水位を変えるように、モネは水面に主観的、心理的なヴィジョンの層を見ていたのかもしれない。
では、須永の絵画はどうだろうか。私には、徳岡神泉(1896-1972)や牛島憲之(1900-)の絵画を想起させて興味深い。徳岡の描く植物や池は、この世ならぬ世界へと観者を異なる次元へと導く幽玄な絵画である。一方、牛島の絵画から感受される淡い色彩、茫漠、有機的、生命的なかたちによる「うねりとリズム」は、須永の色彩にも通じるだろう。牛島の描く植物や大気、池や水などの情景を見ていると、まるで絵画が池のように周囲を清浄にし、湿潤な雰囲気が漂うのである。須永の絵画は、徳岡や牛島が作り出した絵画の水脈につながっている。この先、「THE GRINNING POND」の水がどのようになるのか、かたちなき水の流れをこの目で見続けていきたい。

文:京都国立近代美術館研究補佐員 平田剛志