GALLERY TOMO

2018.1.30

前田 紗希・町田 藻映子 “進化する青”



前田 紗希・町田 藻映子 “進化する青”

2018年1月30日(火)~2月10日(土)
12:00-19:00 5,6,7日休
※会期中、予告なく席を外すことがございます。ご用件おありの方は、アポイントメントを頂戴できれば幸いです。
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 GALLERY TOMO2018年最初の展示として“進化する青”と題し前田紗希町田藻映子の作品をご紹介する。
二人はGALLERY TOMOと提携ギャラリーであるMAGと間で行っているJAPAN ROOM PROJECT(日本の若手作家のミニ個展)に参加した。この二人は対称性のある、いわゆる抽象・具象を描いているが、これらには生あるもののプロポーションを描き出す共通性をみてとれる。
対称性とは、わかりやすい例は視覚的な印象だ。三角形の比率や、眼であったり、耳であったり。
その定義を物理的に述べれば、複数のものの間にある同等性の表現とされている。
アートの領域に於いて楽しめる要素としては、特定の要素の抽出ではなく、さまざまな作品たちが示す対称的構成そのものと、現代社会があらわす全体的なアフェクトの表現だ。
 個人について述べれば、まだ若い二人であるが、前田の作品は、“アンビバレント”というキーワードに基づいた、図形的な表現で構成されている。計算されたようでカオス的に交わる直線や色彩は、冷徹な青、尖った鋭いナイフのような感情の輪郭を表すかのようで見る人をドキッとさせるだろう。
昨年は、イタリア個展や韓国のDDPで開催されたアートフェアASYAAFにも参加。その活動・表現の幅を着実に拡げつつある。
町田もかねてより様々な展示の機会を通じ、パフォーマンス表現をしながら五感を研ぎ澄ませてきた。
今回は昨年飛鳥アートヴィレッジで展示された“もがり”を展示する。生から死へ、死から生の循環のヒストリーがミクロで表現された、そして作家性のトランジションを感じることのできる作品だ。この作品をギャラリーで展示するのはおそらく最初で最後の機会となる。
 その他、二人ともイタリアで展示した作品を中心に構成する。
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協力:MAG
https://www.marsiglioneartsgallery.com/
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前田 紗希 / Saki Maeda
1993 福井県出身
2015 京都造形芸術大学美術工芸学科油画コース卒業
2015 純化(アルトテックギャラリー/京都)
個展 前田紗希展(sala de estar/京都)
2015 京都造形芸術大学卒展示 学長賞
DIVE2015 京都造形芸術大学卒業生優秀作品展(ARTZONE/京都)
京都国際映画祭 クリエイターズファクトリー(元・立誠小学校/京都)
2016 ACT ART COM アート&デザインフェア 2016(The Artcomplex Center of Tokyo/東京)
Independent TAGBOAT ART FES 2016(ヒューリックホール/東京)
アルトテックセレクション(D&DEPARTMENT KYOTO GALLERY/京都)
前田紗希 松野木望会 二人展「普遍的変化」(GALLERY TOMO/京都)
2017 gallerism2017 in 中津 (PIAS GALLERY/大阪)
“DUAL BLUE” Japan room project (GALLERY TOMO ITALY, MAG/COMO、イタリア)
2017 ASYAAF (DDP/ソウル、大韓民国)
町田 藻映子 / Moeko Machilde
2014 ホテルグランビア大阪×京都市立芸術大学アートワークスプロジェクト アートと眠る。アートが目覚める。協力:アートコートギャラリー(大阪)[以降毎年出品] Feldstärke International 2014 アーティスト・イン・レジデンス(PACT Zollverein/ドイツ・エッセン市)・montévidéo(フランス・マルセイユ市)京都芸術センター(京都)
2015 京都市立芸術大学修了作品展 奨励賞(京都市美術館/京都)
京都市立境谷小学校アーティスト・イン・レジデンス(京都市立境谷小学校/京都)
「未知の標本」展(京都市立芸術大学ギャラリー@KUA/京都)
2016 個展「何時か何処か今の此処」(GALLERY TOMO/京都)
個展「遠いことと憧れ」後援:テクニカルソリューションズ株式会社(東京)
2016 《コウノイエ》プロジェクト襖絵制作(多田正治アトリエ+近畿大学佐野研究室/熊野)
2017 gallerism2017 in 中津 (PIAS GALLERY/大阪)
” Moeko Machida Solo Show ” Japan room project (GALLERY TOMO ITALY, MAG/COMO, イタリア)
飛鳥アートヴィレッジ 作品展 「ほどけたもの語りとの邂逅」 (南都明日香ふれあいセンター 犬養万葉記念館/奈良)
水のトーテム 町田藻映子 (アートスペース .kiten/東京)
https://www.moekomachida.com/
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2018.1.08

浜田 泰介 個展


浜田 泰介 個展 ”SAMURAI”

2019年1月8日(火)~1月20日(日)
14,15日休廊
12:00-19:00 最終日17時迄

Dates | 日程 :
2019(New year), 1/7 Tue → 1/20 Sun
12:00 → 19:00 (Only Sunday until 17:00)
14,15 closed

GALLERY TOMOは新しい年を迎えた第一回の展示として、“SAMURAI”と銘打ち、浜田泰介の個展を行う。
1932年に愛媛に生を受け、激動の20世紀を作家1本の矜持を持って生き抜いてきた男、浜田泰介。彼の仕事は日本画のみにあらず、マテリアルにこだわらない融通無碍さが魅力でもある。本展示においては、戦前戦後はもちろん、平成も終わろうとしている今、益々エネルギッシュに制作する生ける巨匠の、日本であまり表に出ていない仕事に焦点を当てたいと考えた。
以下、作家本人の言葉によるステートメントを記載する。

浜田泰介が語る「なぜ今、SAMURAI」か? 

京都美大(現京都市立芸術大学)がまだ美術専門学校と呼ばれた時代に、愛媛県の宇和島から「必ず画家になる」と心に決めて京都へ来ました。17歳でした。選んだのは日本画。これは生家がバカでかい料亭で、その各部屋に、著名な画家の日本画がかかっていたことと、叔父が京都で福田平八郎たちと一緒に絵を志したが、病気になり夢破れ宇和島に戻り、画商(その頃は骨董屋と言われた)をしていた関係で、絵をやるなら日本画と自然に思っていたからです。絵の買い付けに行く時に叔父に同行することもあり、子ども時代から物の良し悪しを見る目は養われていったと自負しています。
京都美術専門学校に運よく合格。その後、戦後の改革の一環として、専門学校から大学への移行があり、無事に大学生となりました。おまけに専攻科(大学院)の試験にも受かり、「画家になる」という志はますます固くなりました。
ただ、青春の彷徨を繰り返す私は、落第を繰り返し、大学院を入れて8月分年も在学する羽目になりました。
長居したついでに、陶芸、油絵、彫刻などの部屋にも潜り込み、貪欲に学びました。
 夢しかないような若い画家たちをそそのかす評論家も多く、時代も戦後の風潮で新しいものへ新しいものへと動いていきました。
 緻密な日本画を描いてきた私は、抽象画とかコンテンポラリーとかいう言葉に強く惹かれるようになりました。若者とは即実行に移せる生き物なのです。私は数々の種類の抽象画を試みましたが、その中で、最も強く惹かれたのがアクションペインティングでした。「アクションペインティング」という言葉を最初に使ったのはニューヨークの美術評論家、ハロルド・ローゼンバーグです。1952年のことでした。詳しいことはここでは省きますが、私は、すっかり夢中で、このアクションペインティングに取り組みました。
 日本人にはなかなか受け入れてもらえませんでした。地元愛媛の松山三越でこの「SAMURAI」シリーズの個展を開いた時、愛媛新聞は両面見開きで、地元出身の新進気鋭の画家を取り上げてくれましたが、作品は1点も売れませんでした。
 そのころの京都では、今のような沢山の外国人ではありませんが、エリート階級に属するアメリカ人やヨーロッパ人が観光に来ており、画廊でも買い物していきました。私のアクションペインティングは、そういったお金持ちの外国人が求めてくれるようになりました。
 そして、1961年、京都市美術館で仲間と大きな展覧会をしている時に、偶然来合わせた外国人に多くの大作を買ってもらいました。市の美術館で絵が売れるなんて珍しいことだったと思います。その中の一人が、チェースマンハッタン銀行の頭取でした。思えば、20代も終わろうとしていた時期でした。ずっと後になって、新聞で「チェースマンハッタン銀行がコンテンポラリー絵画を集めていた時期があった」という記事を読み、その時期がちょうど私が京都市美術館で頭取に買ってもらったころだったのを知りました。

 絵の代金を渡航費としてアメリカに渡りました。絵を抱えて売り込みに行く体力は十分にありました。
ある画廊では、女性ディレクターが無名の私の個展を開いてくれ「ここで展覧会をする日本人は棟方志功についで2人目よ」と言ってくれました。棟方志功とはその後も縁があるというか、不思議な巡り合わせで、故郷に美術館ができた時の催しが1人目が棟方志功で2人目が私でしたし、また、京都の伏見稲荷大社に依頼され襖絵を納めましたが、隣の部屋の床の間にあるのが棟方志功の書です。

 50年前のアクションペインティングを、「うちの画廊でやってみたい」と言ったのが30代の若い画廊主でした。半世紀前の作品群を人前に披露することに抵抗がないといえば嘘になるのですが、若い画廊主の熱意に負けて、新たに描きました。
 「過去を振り返ればいっぱい宝物がある」というのが私の持論です。人間、そうそう新しいものを作り出す能力があるわけではない、人間の能力なんて高が知れてる。だいたい30年をめどに、ファッションも絵画やその他の芸術作品も繰り返し、めぐってきているように思います。勿論、そこにわずかに、時には大幅な変化が加わることは言うまでもないことです。

 このアクションペインティング「SAMURAI」シリーズは、国内では、世界文化遺産の京都醍醐寺の社務所の玄関に掛かっています。因みに、醍醐寺三宝院の大玄関から150面を数える襖絵は私が7年の歳月をかけて描いたものです。
 また福岡県の太宰府天満宮の宝物館や防衛大学にも「SAMURAI」の大作があります。個人で収蔵してくださっている日本の方も少なくないのですが、やはり外国に沢山あります。
 チェースマンハッタン銀行や、美術館、文化施設、有名なハリウッド俳優、歌手などにも沢山買ってもらったのですが、独身時代のことで、整理整頓ができないこともあり、リストを紛失してしまったのが悔いになっています。一番のコレクターは、ダリのコレクターとしても有名な帽子のデザイナーでしたが(ダリとはその家で会いました)、彼女も亡くなってしまいました。

 現在は、富士や桜などに代表される日本の美を描いていますが、同じ作家がこんな作品を生み出していた時代もありますという、少々ノスタルジックな展覧会ではありますが、会場には現在書いている作品の図録類もあります。比べてみてください。
平成31年1月5日 

Taisuke Hamada | はまだ たいすけ
1932年(昭和7年)、愛媛県生まれ。滋賀県在住。京都市立美術大大学院を修了後、同36年から2度にわたり渡米。前衛的な抽象画で注目を集める。帰国後は日本画に転向し、「日本百景」「四国八十八ヶ所霊場めぐり」「大津百景」など風景画の連作を収めた画集を刊行。一方で大覚寺、醍醐寺、東寺、伏見稲荷大社、上賀茂神社、石清水八幡宮などにふすま絵や障壁画を奉納。