“いのちの波紋” 


“いのちの波紋”
~4人の絵画が うみだす いのちの波紋~
中島 順子、藤木 圭、鬼柳 好花、陳 芝廷

2015年12月22日(火)~27日(日)
12:00-19:00
宴(レセプション・パーティー)
12月25日(金) 18時から

京都造形芸術大学大学院日本画コースに在学する学生4名によるグループ展。
 

“いのちの波紋” 展覧会開催にあたって 

長らく日本画は視覚文化の領域において、西洋画流入以前よりこの国の時代を反映するものであり続けてきた。その役割はこれからも存在感を保ち、この国の文化を代表するコンテンポラリー(時代)の鏡としての本流であり続けるだろう。ここに作品を提示する彼らはアカデミックなプロセスから“実践に基づく知性”の獲得の領域へと進む。
人間は皆が自分の道をみつける必要があり、ギャラリーとしてもそれを規定することはできない。しかしこの4名の織り成す線は、決して関係が近しいから集まったというわけではなく、異なる個性を尊重しながら“いのちの波紋”という言葉のもと集まり、並んだ作品のその色は明暗含む個性が調和をしながら、確かにまばゆい光を放っているように思う。
大学院を修了し外界に出ていく今、彼らの創る作品は日本画的にスタンダードなものか、革新的なものかはわからない。変容する時代だからだ。これについてヴィクトリア・ウォルシュ(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)は、こう書いている。「アートを囲む国際的な人口構成は変わりつつある。―文化交流に対する世界的な関心の高まりとその大きな可能性が認められる―そのすべてが急速で複雑、かつ豊かな学習環境の形成に寄与している。(ギャラリーを含む)芸術文化機関は理論だけでなく実践を経て変わらねばならない。私はこれを“実践に基づく理論”と呼んでいる」
私もギャラリストであるが、この立場というのはスペースを運営するイベンターなのか、画商なのか、はたまたキュレーターなのか実にわからない複雑な個性を持っている。これも変容を遂げる世の中で文化を扱う仕事についている故であることは理解している(日本的ではある)つもりだが、並ぶ作品がどういったプロセスを経てここに辿り着いたかは非常に重要であり、様々な個性を前にどういったエンゲージメントを望むのかは展覧会によって違う。彼らの個性を私が現時点で決定することはできないのである。しかし、仕事をし、絵の具を得、画面に向かうだろう彼らの姿を見る側は、これからの現代美術というものが、決して富裕層のものだけではないと確実に気付くだろう。
日本画という歴史の証明の学びを経た4名の創意が絵の中にどう含まれているのかを楽しむこともできるし、よく見ると均質化された表現ではないことにも気付く。
様々なルーツから葉先に集まった水雫が水面に滴り落ち波紋を拡げるように、彼らのこれからが、とても自由で、無限であると同時に泡沫のように消え去る今しかないこの時この瞬間の葉先の先端を、ぜひ皆さまにご高覧いただければと思う。

ギャラリー知 青山 知相